2007.08.27

河狩り - 「匹見再発見」 6


鮎なますづくりに利用された穴 『河狩り』と書いて『かわがり』と読ます、この言葉をご存じだろうか。西中国山地の山懐に抱かれた匹見では、河狩りという良き伝統が今に受け継がれている。
 その意味は、夏、で泳いだり魚を捕まえて遊んだ後、辺で事をすること。「あす、みんなで河狩りに行こうや」―。親しい友人や知人にこう声を掛け、誘ったりする。
 事抜きなら、ただの「遊び」だが、涼しげに吹き抜ける風に身を委ね、持ち寄った料理に舌鼓を打つところに、ちょっと粋でぜいたくな河狩りの遊び心がある。
 もともと水源の上を祭る河内神社信仰が始まり。で捕った鮎(あゆ)を料理して神に供え、神とともに事をいただき、の豊漁を祈願、あるいは感謝した名残らしい。
 今でこそ、河狩りの主流はバーベキューだが、信仰行事の伝統にのっとった献立は、鮎飯、鮎の塩焼き、鮎の背越(中骨ごとスライスした刺し身)、鮎とキュウリのなます、石焼き(焼いた石の上で、鮎のはらわたに塩や味噌を混ぜたものと一緒に野菜を焼いたもの)など。まさに鮎づくしだ。
 確かに、香魚とも呼ばれ、気品高い鮎は神に供えるのにふさわしい。魚を貴重な動物性タンパク源とし、山深い里で暮らす人々の信仰心の強さがうかがえる。
 漁に親しんできた地元の古老によると、若いころはツガニ(モクズガニ)にしろ、イダ(ウグイ)にしろ、今とは比較にならないほど数が多かった。鮎の遡上(そじょう)期にもなると、大群が黒い帯のようになってを上ってきたそうだ。
 豊かなの恵みは、感謝の気持ちとともに日常生活の中に、深く染み込んでいた。
 親から子へ、そして―。河狩りは匹見の地で、しっかりと息づく。


写真:鮎なますを作るのに利用していた、の流れによって自然にできた岩のくぼみ


(文・写真 / 田代祐子・田代信行)


※この記事は、2007年8月26日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.08.13

ひきみの清水 - 「匹見再発見」 5

二ノ代の清水 西中国山地の懐に抱かれた匹見は、匹見峡に代表される渓谷美が自慢だが、実は清が至る所からわく「のまち」でもある。ブナなど広葉樹林に降った雨は地中にしみ込み、天然の浄化作用で良質のへと生まれ変わる。
 特産ワサビをはぐくんでいるように、豊かな資源は住民の暮らしを支えている。
 各集落では、隣近所が共同で山を引き込み、飲料など生活用として使った。上道の整備で、昔のような光景はさすがに減ったが、地域によっては清が「命の」になっている家庭はまだまだ多い。
 二年前、匹見総合支所が中心となって「ひきみの清水」選定に着手した。地域住民から寄せられた名情報を頼りに、まず二十四カ所を候補選定。最終的には使いやすさなどを基準に八カ所を選び、昨年暮れに無料取場の標柱(地元の凝灰岩採用)を設置した。
 選定では質検査も実施した。その結果は、「甘い」「まろやか」などの指標となるカルシウムやマグネシウムなどが多く含まれ、飲みやすさを演出していることが分かった。
 良質な清の評判は徐々に広がり、今では車にポリ容器を積み込み、遠方からやって来るファンも珍しくない。「清で入れたコーヒー、清で炊いたご飯は最高!」。そんな声を聞くたびに、目尻が下がる。
 二十一世紀は「の世紀」ともいわれる。地球規模で進む砂漠化は資源さえも奪う。
 その意味でも、郷土の宝でもある資源を守り、後世の人々に残す努力は欠かすことができない。
 ひきみ学舎では、この大切な地域資源を紹介する「ひきみの清水マップ」を作成予定だ。


写真:二ノ代の清。匹見峡トンネル出口から数百m、山側にわき出す。量も豊富で、夏場でも枯れるることはない


(文・写真 / 河野敏幸・田代信行)


※この記事は、2007年8月12日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.07.30

姉妹都市交流 - 「匹見再発見」 4


ブルーベリの摘み採り体験をする高槻の中学生 大阪府高槻市と益田市匹見町は1971年、姉妹都市提携を結んだ。今年で36年になる。
 当時、人口増加に悩んでいた高槻市(現在、35万人)と、過疎化にあえいでいた匹見町(同1500人)。それぞれ抱える問題が機縁となり、新しい街づくりへのヒントを得ようという発想から、交流が始まった。
 夏休みを利用した交流事業の一つに、「サマースクール英語in匹見」がある。高槻市内の中学1、2年生と地元中学生が、大自然の中で英会話を学ぶ。
 英会話の合間の野外活動では、ブルーベリーの摘み取り体験、林間ハイキング、川遊びなどでコミュニケーションを深める。
 都会暮らしの多感な中学生にとって、魅力は何と言っても、四季の自然に彩られる田舎ならではの「ゆとり」や「やすらぎ」。関係者は、この仕掛けが、子どもたちの学習意欲をかき立て、健康な心身育成を促し、自然環境への関心を呼び起こすことを期待する。
 都会と田舎が共に手を携え、「きれいな川」や「緑の山々」を守り、次世代に受け継ぐ意味はとても大きい。まして思春期を迎える中学生が「川や山の恵」の中で生きる人たちの地域に出向き、暮らしを体感することは有意義だ。
 美しい山川を守っていくため、自分たちは何ができるか−。彼らが自問自答する提供の場は、これからもどんどん増やしたい、と心底から思う。
 この息の長い交流事業の展開は、田舎の人々の目を覚ませる。あって当然の自然や伝統文化が、実はかけがえのないものであり、うずもれた地域資源の多さに気づく。そして、ふるさと再発見を起爆剤に、地域がよみがえるのではないか−と自信を持つ。
 都会と田舎がそれぞれ秘める魅力(人・物・情報)を認め合い、双方向で情報発信することは、地域課題の克服につながる。
 今年も25日から3泊4日の日程で、高槻市の中学生がやって来た。


(文・写真 / 山本裕士)


※この記事は、2007年7月29日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.07.09

ホタルの世界 - 「匹見再発見」 3

石谷川で乱舞するホタル 一瞬、乱舞するホタルの世界に舞い込んだような錯覚に陥った。見上げると、満天の星。聞こえてくるのは、心地よいせせらぎの音と、カエルの鳴き声。そこには、現代人が渇望してやまない懐かしい山里の光景が広がる。
 ここは、匹見川支流の一つ石谷川。もっと詳しく場所を特定すると、厳島神社(益田市匹見町谷口)から約300m上流である。
 実は、石谷川は知る人ぞ知るホタル見物のスポット。山深いだけあって、ホタルが飛び交うのは平地より1週間以上も遅い。だから、7月になってもホタルの幻想的な世界を堪能できる。何よりも人家の光や車のライトにじゃまされずに、心行くまで楽しめるのがいい。
 ホタルの写真を撮り続けて15年になる。シーズンになると、益田市近郊や旧美都町のスポットを歩き、光跡を追い求める。その経験からしても、石谷川のホタルの素晴らしさは「石西地域随一だ」と思う。
 奥出雲の地で生まれ育ったせいか、山や川がもたらす自然の恵みに無関心ではいられない。
 幼少のころ、兄に連れられホタル狩りに行った思い出は、年齢を重ねるごとに鮮やかによみがえる。つくづく「人間は自然の営みの中で生かされている」との思いを強くする。
 西中国山地の山懐に抱かれた匹見は、また昆虫の宝庫である。ホタルもその一つで、隠れたスポットは数多い。
 石谷川の川辺にたたずみ、ホタルが織りなす幻想的な世界に浸りながら、地球環境に優しい暮らしの在り方に思いをめぐらす―。何とぜいたくな時間だろうか。


(文・写真 / 吉崎佳慶)


※この記事は、2007年7月8日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.06.25

泥落とし - 「匹見再発見」 2


朴の葉に盛りつけた「御供(ごくう)」を再現した 田植えが一段落すると、「泥落とし」という行事が行われる。農家にとっては心休まるとき。耕運機での作業、石垣の草取り、畦(あぜ)の手入れ・・・。4月から5月末まで続く農作業から、いっとき解き放される。
 今のように機械化されていない昭和50年代までは、まだ各集落に「イイ(結に由来)」と呼ばれる組織があり、田植えなどを共同で行った。作業が終わるのは、今より1ヶ月も遅かった。
 「泥落とし」は、6月30日から7月4日までの5日間をいい、ユリ科のサルトリイバラの葉で包んだ柏餅(かしわもち)をつくったりし、仕事を控えたものだ。
 泥落としの日を「シロミテ」と言う。各家ではサンバイ(田の神)さんの依代(よりしろ)である御幣を水口に立て、神前には朴(ほお)の葉=モクレン科の落葉高木、9弁の白い大きな花を咲かせる=に載せた豆入りの、おむすび3個を供えたりした。
 七村地区では五目めし、チシャなます、ゼンマイ、タケノコ、干し大根煮を供えるのが慣習だった。
 なかには「ヨセドロ(寄せ泥)」といって、イイ仲間や地区の人々が集まり、豊穣祈念と親睦(しんぼく)も兼ねて会食が行われていた。 
 しかし、今ではイイ組織も崩れ、泥落としは地縁関係者を中心にした温泉旅行などのスタイルに様変わりした。
 朴の葉が使われるのは、ちょうど大ぶりな真っ白な花を咲かせる時季に当たるためである。サンバイ花という言い方もあり、他の地方では開花を同じにする栗、卯の花(ウツギ)をあてがうことも。
 田囃子(たばやし)にそうした花木が登場するのもうなずける。
 朴の葉やサルトリイバラを用いることでも分かるように、泥落としという行事は、自然の営みにあらがうことなく神の存在を信じ、地区の連帯感を紡ぎながら伝わってきた。


(文・写真 / 渡辺友千代)


※この記事は、2007年6月24日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.06.11

アユ漁の夏 - 「匹見再発見」 1


初夏の味覚を代表するアユ 6月を迎え、高津川流域はアユ釣りシーズンに入った。解禁日には、待ちかねた人たちが早朝から、さおを振る。前の晩から場所取りをする人も。川沿いのちょっとしたスペースには、県外ナンバーの車が目立つ。
 ここ匹見(益田市匹見町)でも、「アユ放流・遡上(そじょう)・解禁」の言葉に何週間も前から胸躍らせる人が大勢いる。川の様子を見回り、仕掛けを準備し、解禁日が平日であれば有給休暇の算段だ。
 釣果次第では、おすそ分けが回ってくる。魚体に黄色い星をもった艶やかで美しいその姿は、卯の花(ウツギ)やチナイ(エゴノキ)の白い花と合わせ、「夏は来ぬ」を実感させる。
 匹見では、季節は川や山など自然の恵みをともなってやって来る。
 トチやクリの実を拾い、何種類ものキノコが採れるようになると、山里に秋風が吹き始める。アユも「落ちアユ」になり、初夏とは違った楽しみをもたらす。
 さらに、猟でイノシシが捕れたという話を聞くころには雪がちらつく。そして、冬。山菜を採る楽しみを抱き、春到来を待ちわびる。
 四季の移ろいに身を任せた暮らし。「コウカ(ネムノキ)の花が咲いたら小豆をまけ」などというように、季節の野菜や米をつくる際にも、自然を通して身につけてきた、昔ながらの知恵や技術が活(い)かされている。
 暮らしの知恵・技術は、山や川がはぐくんだ恵みというべきだろう。そこには、さまざまなものが容易に手に入る都会とは趣を異にする、匹見ならではの「豊かさ」がある。


 私たち、ひきみ学舎(まなびや)では、この豊かさを少しずつ拾いあげて蓄積し、次世代へつなげることを目指す。
 連載では、活動を通して「再発見」した匹見の魅力をたっぷり伝えよう。


(文・写真 / 田代信行)


※この記事は、2007年6月10日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.06.09

山陰中央新報への連載が始まります

 6月10日より、山陰中央新報の朝刊、島根ワイドのページに、ひきみ学舎(まなびや)による連載記事が掲載されます。
 タイトルは「匹見再発見」。匹見の地域資源をもういちど見直そうという、学舎の活動の一環となります。
 さしあたっては、隔週日曜日に掲載される予定です。また、紙面掲載日の翌日には、当サイトにもアップしていきますので、新聞とあわせてチェックしてみてください。


2007.05.25

匹見の清水 道川地区編

 「ひきみの清水」として選定された8か所の水場のうち、道川地区の1か所を紹介します。


金屋子の清水・金屋子の清水
 広島県境に近く、国道191号線を広島方面に向かった右側の民家のかたわらに山側から水を引いています。
 すぐ隣には益田市指定の文化財「本谷山たたら跡」があり、水を引いている山には金屋子神社があったとされています。


金屋子の清水マップ


2007.05.25

匹見の清水 表匹見峡編

 「ひきみの清水」として選定された8か所の場のうち、表匹見峡の2か所を紹介します。


粋の清水・粋の清
 匹見峡トンネルができて旧道になった道路沿い、粋の淵の山手側に巨大な岩の下から小さな泉のように湧き出している清
 すぐ下流側の少し高いところに古い休憩所があり、周囲には何本ものトチノキが立っています。辺を好むトチノキが多いということは、この辺りのの豊かさをあらわしているのでしょう。



温井の清水 ・温井の清
 粋の清やや上流の橋を渡ってまもなく、山側の岩の間からパイプをつたってきれいなが滴り落ちています。
 昔から道行く人に利用されていたとのこと。清温が気温に左右されにくく、冬でも暖かく感じられるのが名前の由来ではないでしょうか。


表匹見峡清水マップ


2007.05.25

匹見の清水 広見地区編

 「ひきみの清水」として選定された8か所の場のうち、広見地区の1か所を紹介します。

鈴ヶ嶽の清水・鈴ヶ嶽の清

 裏匹見峡の奥、国道488号線を吉和方面に向かうと左側深く落ち込んだ谷の向こうに鈴ヶ嶽が偉容をあらわします。その展望台から数十mほど先に、大きな岩の間からこんこんと湧き出している清
 数十年前まではこの奥の広見地区にも集落があり、人や馬や車が行き来していましたが、この辺りは悪所のひとつでした。近くの岩の割れ目には安全祈願の神様がまつられ、今でも小さな鳥居が確認できます。
 悪所を越えた人や馬は、この場でほっと一息ついたとのことで、「神さんの」ともよばれていたそうです。


鈴ヶ嶽の清水マップ