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2010.02.22

持三郎の御座石 - 「匹見再発見」 65

持三郎の巨岩  澄川特三郎(もっさぶろう)という地名がある。ここに直径3~5m、高さ約1.5mの巨岩が横たわり、さらにその上に直径1.5~2mの石が載り、何か意味ありそうな様形をただよわせる。
 この岩頭上に、古くは八幡神が祀(まつ)られていたと伝えられていることから、まさしくこの巨石は神にかかわる御座石(みくらいし)といえるものである。
 社祠などは鎌倉期(1192~1333)の大洪水の時に流失し、ご神体は、鎌手の大谷・大浜の間の三田瀬沖に漂着し、これを両浦の者たちが奪いあったと伝えられている。
 伝説はさらに続き、その後ご神体は三田瀬に祀られたものの「久城に移りたい」とのご神託があり、櫛代賀姫(くしろかひめ)神社の境内に明星山八幡宮として祀られたという。今も行われている同神社の「相撲(角力)」「針拾い」という両神事は、その故事に基づくものらしい。
 神事は夏祭り(小祓祭)といって9月15日、御幸場(みゆきば)という浜場へ巡幸し、そこで行われる。
 まず獅子舞があり、ご神体を奪い争ったという両浦の2人が相撲で競い合う「相撲神事」がある。1勝1敗1引き分けという神前相撲だ。
 それが終わると1人の老婆が斎場内を必死になって、なくしたという針を捜し回るが見つけることができない。それを見かねた神職が、最後には神針を授けるというのが「針拾い神事」だ。
 一説にはその老婆こそ、両浦のもめごとの仲裁に入った特三郎の者だというのである。こうした因縁から、かつては本地からもご巡幸には参列していたという話も伝わっている。
 いずれにしても遠く隔てた海辺の地に、本地に絡んだ起源説で語られていることに驚き、貴重な両神事が永く伝承されていることに頭が下がる。

 

写真:巨岩が横たわる澄川持三郎

(文・写真 /渡辺友千代)


この記事は、2010年2月21日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。

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