2009.12.07
木地師 - 「匹見再発見」 60

材料の木材が積まれ、さまざまな道具や機械が置かれた奥で、木工用ろくろが回っている。円状に木取りをされた材に刃物(ろくろかんな)が当てられると、勢いよく木くずが飛び散る。たちまち、きれいな曲面をもった「形」が現れてくる。
大まかな形ではあるが、椀や皿、盆、ボウルやカップが、木の中から生まれてくるかのような瞬間だ。
「森の器」の愛称で知られるこれらの木工品はさまざまな樹種で作られ、木目や色、重さなど、ひとつとして同じものはない。匹見の豊かな山林資源を活かそうと、二十数年前に始められた事業だ。
私事だが、十数年前、Iターンを考えていた時に匹見の名を教えてくれたのが、本や展示会で見かけたこの器だった。私にとって、「森の器」は「匹見」の代名詞だった。
もともと匹見には、ろくろを使った木工品作りの文化があった。木地師と呼ばれる人たちがもたらしたものだ。近世、木地屋文書で特権を主張し、木地の材料となる良木をもとめて各地を自由に渡り歩いた人たち。里とは一線を画す山中に十数年単位で暮らし、木を倒し、ろくろを回した。その生活跡には、今でも残された墓石などを見ることができる。
そんな、山とともに暮らし、対話しながら伝えられてきた技を、現在に、後世に引き継いでいこうという思いも、森の器には込められている。
山が、少しずつその姿を変えながらも時代を超えてそこにあるように、代々引き継がれていく人の知恵や技。そんなところに、匹見の魅力がやっぱりある。
写真:「木材」が、みるみる「器」になっていく
(文・写真 /田代信行)
この記事は、2009年12月6日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。
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