2009.05.11
緑のあす - 「匹見再発見」 48

旧匹見町は、昭和28年から、町直営の造林事業を行ってきた。自然林に頼った林業が盛んだったことで、町有林にも伐採跡が目立つようになっていて、山の荒廃を防ぐ意味もあった。
昭和42年には、「緑の工場構想」が掲げられた。これは、当時島根県が推進した「一町村一工場」に対し、豊かな山林をいかして財産を築き、また人口の流出もくいとめようとする「匹見町方式」の発想だ。現在、山の財産は蓄積され、事業による雇用は、私たちのようなIターン者が匹見へ入るための足がかりにもなっている。
前述の塔にかけられた碑には、この事業に参加協力した人たちへの感謝が刻まれ、同時に「豊かな緑のあす」への祈りがこめられている。スギやヒノキの拡大造林や、その後の手入れ不足による荒廃など、抱える問題・課題も多い「緑のあす」。次世代へつなぐ新しい発想が必要な時期だろう。
匹見町方式で育まれてきた「緑」は、平成の大合併を経て益田市の財産にもなった。最近注目されている森林の公益的機能からみれば、川の上流・源流域の山が果たす役割は大きい。豊かで滋養に富んだ水の供給源でもある。
匹見だけ、ではなく、益田市さらには高津川でつながる流域全体で、新たな「方式」を考え行動していきたい。すでにそんな動きが始まっているのかもしれない。
先の記念塔には、町民の福祉増進を約束する「幸せの鐘」が下がっている。「豊かな緑のあす」を願い、この鐘を鳴り響かせたい。
写真:記念塔の中に下げられた「幸せの鐘」
(文・写真 /田代信行)
この記事は、2009年5月10日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。
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