--.--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2009.03.23

広見の石橋 - 「匹見再発見」 45

 谷川などの上を通りやすく架けられた橋、今の幹線道路はコンクリート製が主流だ。匹見を縦断する国道488号線の裏匹見峡から広島県廿日市市吉和間は、特に狭く曲がりくねって旧来のままだが、それでも橋はコンクリート製のものが大半を占める。
 ただし1か所であるが、五里山の山すそのセイコ谷に架かるのは、珍しく石橋で構築されたものだ。その石橋、上面にはアスファルトが張られ、しかも直線的なために、側面や下方が石組で構築されていることに気づく人はほとんどいないだろう。
 施工は、明治30年代に加計の佐々木三十郎の指導で架けられたものと伝えられ、幅10.2m、長さ7.6m、高さ4m余りの当時としては比較的大型で、技巧に富んだものだ。流路口はアーチ型とよばれるものだが、恰好は釣鐘形で、幅・高さとも約3mある。
 技法は、進行方向に縦型に並べる中国式のリブアーチといわれるものではなく、角錐台形のレンガ積みの欧州型といわれるものらしい。
 石橋といえば、寛永11(1634)年に造られたという長崎の眼鏡橋が有名。その後、熊本を中心に九州地方に広がっていったものらしい。
 匹見地方の棚田にみる石垣築地などは、近世から明治期にかけて芸北地方の石工師によってもたらされたといわれている。匹見にもこんな石橋が・・、と感嘆した。
 石橋に限らず、何でも目をこらし、また目先を変えてみると、そこには新しく珍しい発見があるものだ。まさに本石橋は、匹見の、いや益田市にとっての近代化遺産といえるものだろう。

 

写真は追って掲載します

(文・写真 /渡辺友千代)


この記事は、2009年3月22日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。

スポンサーサイト

この記事へのトラックバックURL
http://manabiya.blog76.fc2.com/tb.php/109-7b7e2818
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。