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2009.02.23

六十六部供養塔 - 「匹見再発見」 43

阿弥陀如来像  益田市匹見町には「石見三十三札所」に数えられている寺が2か所(十五番の清閑院は廃寺)ある。その成立は元禄5(1692)年ではないかといわれているが、固定化するのは後の正徳年間(1711‐15)ころになってからだろう。
 現存する十四番の東光山和田寺(浄土宗)は仮堂となっているが、その境内に六十六部の供養塔といわれる石造の阿弥陀(あみだ)如来像がある。六十六部とは、六十六国を廻国して巡礼した聖(ひじり)のことをさすが、略してただ六部という場合もある。
 石造の如来像は当地では珍しく、以前から気にしていた。ただ、坐像の蓮華(れんげ)座の中央にやや太字で六十六部供養と陰彫された以外、コケが繁茂するなど、詳細は分からなかった。
 そこで今季、コケを取り除くなど清浄してみた。すると、蓮華座の右側面に「宝永七年(1710)寅三月三日」とある。また左側面には「施主・教水」という刻銘が現れた。
 六十六部廻国については、正徳年間以前、出雲国では杵築大社(出雲大社)、石見国では大田南八幡宮に代表される国分寺、大麻山権現、柿本神社、隠岐では焼火権現というように5か所程度と少なかった(鳥谷芳雄『島根における近世六十六部廻国』)。しかもそれらはいずれも海岸端に限られていたようだ。
 18世紀後半になると倍増していくものの、石見では三十三札所と重なりが見られるといわれ、それでも和田寺のように山間辺地で発見されたことは初めてで、極めて貴重だ。
 このことは本寺が、浄土宗の三祖といわれている記主(きしゅ)禅師が嘉禎年間(1235‐37)に開基したといわれる名刹(めいさつ)だったことから、納経地として足を向かわせたという背景があったのかもしれない。

 

写真:和田寺の「阿弥陀如来座像」

(文・写真 /渡辺友千代)


この記事は、2009年2月22日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。

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