縄文の小宇宙 - 「匹見再発見」 42
狩猟・漁労・採集を生業とした縄文時代。その始まりは1万5000年前にさかのぼるとされ、およそ1万2000年も続いた。その始まりから終わりまでの各時期にわたる遺跡が数多くある匹見の縄文文化回廊を、巡ってみたい。
石ヶ坪遺跡は九州系の縄文土器が多量に発見されたことで有名だ。この土器は並木式・阿高式といわれ、粘土のなかに滑石が混ぜられているのが特徴。土器片を手に陽の光を当ててみるとキラキラと光を反射する。
縄文土器の中でも、ひときわ異彩を放つこの土器を目にした人々の驚きは、どれほどであっただろう。
原産地が判明している場合、その広がりは人の動きを映し出す。滑石の産出地は長崎県西彼杵半島などが知られ、九州との深いつながりを物語っている。
石を集めて組み石状に並べた、配石遺構(墓地)の発見された遺跡が多いことも特色だ。早期の上ノ原遺跡をはじめ、前・中期の中ノ坪遺跡、後・晩期ではヨレ・水田ノ上遺跡などが知られ、その変遷をたどることができる西日本でも稀有な地域だ。
特に水田ノ上遺跡は径80mにも及ぶ西日本最大規模のストーンサークルとされ、森の恵みに感謝する神聖なマツリが盛大に行われたと想像できる。
配石遺跡からは、意図的に破壊されたといわれる土偶や石冠といわれる両性具有の呪術具も発見されている。そこには季節の循環にも通じる、いのちの復活と再生を祈った縄文人たちの精神的宇宙が広がっていたことだろう。
県芸術文化センター「グラントワ」で21日から、「とっとり・しまね発掘速報展」とあわせ、「考古学から語る“いにしえ”の石西」と題した地域展が開催される。
写真:匹見の遺跡から出土した縄文土器類
(文・写真 /渡辺 聡・渡辺友千代)
この記事は、2009年2月8日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。