消え去っていく蓑具 - 「匹見再発見」 63
「蓑(みの)笠つけて」と 「案山子(かかし)」の歌にあるように、蓑は昭和20年代までは野良仕事などに雨、雪を防ぐための外套(がいとう)として、必需品だった。
匹見では「コウラミノ」といって、コウラで編まれるものが主流であった。ここでいうコウラというのは、オクノカンスゲという35cmほどになる植物をいう。
9月前に収穫して10日ばかり乾燥させ、そして束ねて泥水に浸す。10月末、表面の柔らかな緑色がとれて白くなったところで洗って乾かし、カセという蓑編み台を使って編んだ。
材料のオクノカンスゲは、町内にコウラ谷という地名があることからみてもわかるように、比較的自生していることなどから昭和10年代には1千枚も編まれたといい、そのほかハバキ、キャハンもつくられた。
このような蓑については記・紀のスサノオノミコトの神話に登場するなど古く、また秋田県のナマハゲのように、それを着衣することは異界からの来訪者を意味するという行事・説話も多く伝えられている。
さて、コウラのほか稲ワラもあるが、手軽く得やすいコウラのものよりは編まれることは少なかった。それは長持ちしないという短所にあったらしい。ヒネリ編みといわれて下方から仕立ていくもので、もち米の稲ワラが最適という。
私はそのヒネリ編みしたものを持っていて、とくに裏側からみる高度な技術に圧倒される。それは昭和57年ごろの落合地区の斉藤米吉氏(故人)の手によるもので、その技巧美に感嘆し、無理やり所望したものだ。
こうしたものは今では化学製品一辺倒となって見捨てられていったが、先人たちが身近にあるものを活用し、知恵と技術で作り上げられてきたものを目にすると、そこには温かな優しさの結晶をみることができる。私にとっては大切な一品だ。
写真:裏側からみた稲ワラ蓑とハバキ
(文・写真 /渡辺友千代)
この記事は、2010年1月24日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。
雪とともに - 「匹見再発見」 62
ここ数年、匹見では雪のある正月を迎えている。以前は当たり前の景色だったのだろうが、近年では雪のまったくない年も珍しくない。匹見の冬を体験するようになって15年。その間にも、肌で感じる冬の、雪の様子が変わってきているようにも思う。
「奥地」集落の移転や匹見からの人の流出をうながしたきっかけのひとつといわれる「三八豪雪」。当時を知る人の話を聞いたり本を読んだりすると、その頃の雪との格闘がいかに大変だったかわかる。
それ以来の大雪だという人もいた「平成18年豪雪」。何日も降り続く雪はたしかに不気味で、雪かきの手伝いに行った家では独り暮らしのお年寄りが不安な顔を見せた。以前とはまた違う意味で、雪は重圧になっているのかもしれない。
圧雪になった道路を慎重に運転し、益田の市街地に出かけてみると、雪は気配もなく蝶々が飛んでいたりして拍子抜けすることがある。これだけ違うと、それぞれに別の種類の時間が流れているような気がしてくる。
長年匹見で暮らしてきた人たちには、雪に苦労しながらの冬の過ごし方があるだろう。山への猟だったり、春を迎える準備であったり。その人なりの楽しみも必要。
太平洋岸の温暖な土地で育った私は、不謹慎かもしれないが、雪を見ると少しワクワクする。新雪をぎうぎうと踏んで山を歩き、小さな冬鳥たちに出会い、木の冬芽がふくらんでいるのを見たりするのはひそかな楽しみだ。
本格的な雪はこれからかもしれないが、年が明け、日が少しずつ長くなり、どことなく春が近づいている気配を感じることも。そうなってくると、冬が終わってしまうのを惜しむような気分になるのが不思議だ。
写真:つかの間、晴れた朝
(文・写真 /田代信行)
この記事は、2010年1月10日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。