秋の気配 - 「匹見再発見」 55
近ごろ、朝晩はずいぶん冷え込んできた。雨が降るたびに、少しずつ空気の質も変わってきているような気がする。春の雨には、温かさを含んだやわらかみが感じられるが、秋の雨はどこか冷たく、さびしさが混じっている。
その代わりと言っては何だが、よく晴れた秋の日の気持ちよさは格別だ。朝もやの向こうから日が差し始め、深い色の青空が広がってくる。そんな休日、カメラ片手に匹見の「小さい秋」を探しにでかけてみる。
空気が澄んでいるせいか、日差しの強さがまともに伝わってくる。が、日陰に入ると途端に風はひんやり。じっとしていると肌寒いくらいだ。
きれいに熟れた稲が刈りとられている田。そばを通ると、乾草のようなワラのにおい。赤トンボが、名残惜しげに飛んでいる。何だか懐かしいこの雰囲気。ちょうど、子どもの頃に遠足で見た色、かいだにおい、感じた風を思い出すようだ。
山際にはクリやドングリが落ち、ところによってはトチの実を見つけることも。ヤマボウシやアケビ、サルナシにフユイチゴなど、見つけたらそのまま口に入れたいような実もたくさん。
夏の間少し息をひそめていた、草の花の種類も増えてきている。秋によく目立つ花は、シソ科、キク科、タデ科などが多い気がする。その他にも、ゲンノショウコ、ツルリンドウ、ツリフネソウ、それにススキなどなど。どれも、春の花のやさしい鮮やかさとは異なる、さっぱりといさぎのよい渋みを感じさせる色だ。
山の緑は少し勢いをなくしかけている。遠くから、神楽の笛や太鼓の音が聞こえてくる。庭の片隅でコオロギが鳴いている。
秋が静かに忍び降りてきている。
写真:フデリンドウの花
(文・写真 /田代信行)
この記事は、2009年9月20日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。
天狗 - 「匹見再発見」 54
匹見には天狗瀧(てんぐだき)、また「堀越天狗」といった天狗にちなむ地名や、天狗の休み場だという「天狗松」、あるいは「グイン松」といった巨木・奇形な樹木などが見られる。
天狗は顔は赤くて高い鼻をもち、背に翼があって飛行自在で、手には羽団扇(はうちわ)をもつ。服装は山伏姿が一般的だが、中には僧侶の場合もあるといわれ、深山の岩場または松の木などの樹上にいるという想像上の怪物だ。
「天狗風」「天狗礫(つぶて)」「釣天狗」など、諺(ことわざ)ではマイナスイメージが強いが、これは魔界に棲むということから生じたものであろう。
しかし山郷の人たちにとって、かつては山神に近い存在であったらしく、例えば三葛には大神ヶ嶽(あるいは立岩ともいう)から申し降ろしたという「狗印社」という祠(ほこら)がある。
こうした天狗の原型は、どうやら山伏の姿やその行動にあるようだ。つまり山界の岩場を登ったり火の中を歩いたり、刀(は)渡りをしたりと超自然的なことは、まさしく天狗像そのもといってよいだろう。古書や伝承には「山伏が天狗になった」とか、その逆の記述もある。いずれにしても日本固有の山岳宗教や、また修験道との密接なかかわりの中から登場したものであろう。
切り立った岩場などを当地では、タキとかダケとかいっているが、古くはそのような場所は地方山伏の修業場であったらしく、それが天狗伝説を生むきっかけになった。原初的には、そういった岩山や巨木などには神がこもるといった、自然崇拝から発したものであったことも頭においておかなければならない。
写真:そびえ立つ立岩。天狗伝説が残る
(文・写真 /渡辺友千代)
この記事は、2009年9月6日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。