2009.06.22
水の国 - 「匹見再発見」 50

4月、少しずつ、あちらこちらの田に水が引かれ始める。それまでタネツケバナなど咲いていた場所が、みるみる一面の「水の国」へと生まれ変わる。これだけの変化だ。心なしか、空気も湿り気を帯びてくるよう。
毎年繰り返されるこの変化を、たくさんの生きものが待ちわびている。
まずはカエルたち。ツチガエルやアマガエル、トノサマガエル、シュレーゲルアオガエル…。ずいぶん早い時季から鳴きはじめ、気がつくと夜中の大合唱になっている。5月の終わりには、白い泡に包まれたモリアオガエルの卵塊が目立つようになり、まもなく梅雨入りの気配。
鳥の姿も多い。オシドリが泳ぎ回って何か探している。幼鳥を連れたアオサギが、じっと獲物をねらっていることも。ツバメが飛びながら水をすくって飲んだり、虫をねらってツイッと宙を切っていくさまは、見ていて気持ちがよい。
そんな「水の国」の風景は、人も引きつける。田の間を歩けば、イネの小さな苗が風にそよぎ、水面は山や空を実物以上に輝かせて映している。
そんな晴れやかな景色から、梅雨時季のやや重いしっとりした雰囲気への変化もまたよい。うっとうしいと感じることもあるが、滴をたくわえた木や草の風情はみずみずしい。何より、この時季の雨がその後の水事情を左右する。
今年はまだ雨が少ない。川にも今ひとつ元気がない。農作物のためにも、そろそろ適度なひと雨が欲しいところ。
梅雨が明ければ、ますます水辺が恋しい季節がやってくる。
写真:日の光を受け止める水をたたえた水田。散歩が気持ちいい
(文・写真 /田代信行)
この記事は、2009年6月21日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。
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2009.06.01
ネズミ封じのツバキ - 「匹見再発見」 49

養蚕は、カイコを飼ってマユを作らせ、糸を取る。「カイコ」の語源は「飼い子」からきたといわれる。匹見では1870年ごろから始まり、その最盛期は1910年代から40年ごろまで。50年ごろには化学繊維に押されて衰退していった。
生活の糧であったカイコは、尊称して「おカイコさん」と呼ばれた。9月ごろのものをアキコ(秋子)といい、この時期にも行われたが、多くは桑の葉が柔らかくてよく茂る、5月前後のハルコ(春子)といわれる飼育のものが中心だった。
その養蚕での天敵は、なんと言ってもネズミだった。そのため、ほかの地方では、ヘビとの縁が強かった弁天様を祀る風習などもあったと聞くが、匹見では、江田平台という場所にあるツバキが信仰の対象だったという。
ひざの高さの胴回りは直径25cmほどあり、その幹にまず糸を巻き付け(おそらく絹糸だったと思われる)、根元には灯明を燈して手を合わせ、ネズミ封じのお祈りをした、と西田氏はいう。
当時の養蚕者たちは、技術員の指導を受ける一方で、そうした古くから伝えられた習俗信仰にも頼りながら一生懸命に生きてきた。それを考えると、ただ軽く聞き流すことができない貴重な民俗誌が、そこに眠っているものだなと感心した。
写真:ネズミ封じの祭りが行われていた江田地区のツバキ
(文・写真 /渡辺友千代)
この記事は、2009年5月31日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。
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