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2009.02.24

ひきみ「農」写真コンテスト受賞作品が決まりました

 1月31日に募集が締め切られた、『ひきみ「農」写真コンテスト』の応募作品の審査がおこなわれ、あわせて10点の作品が選定されました。審査委員は、島根写真作家協会理事の吉崎佳慶さんにお願いしました。
 ご応募くださったみなさま、本当にありがとうございました。
各賞の受賞作品と受賞者は、以下の通りです。


     最優秀賞  「田、漲る」 寺田義紀(広島・安芸郡)

     優秀賞    「冬仕度」 入江孝美(広島市)
             「レンコン畑」 河野波香(匹見)
             「コスモスが見つめる秋」 島田圭子(益田市)

     特別賞    「二人でワサビ作りました」 山根弘美(匹見)

     入賞     「興味津津」 小豆澤 勝(松江市)
             「雪の日」 入江孝美(広島市)
             「もうすぐ田植え」 河野波香(匹見)
             「収穫」 福原純孝(益田市)
             「何を取りに行くの?」 山根洋子(匹見)

 

 


 

《審査評》   吉崎佳慶 (島根県写真作家協会理事)

 

 総評
 西中国地方随一の豊かな自然に恵まれた匹見地区は、テーマ「農業」にとって撮影材料に事欠かないナイススポットが多い。
 今回も、地元を中心に県内外から多数応募があり、楽しく審査をした。年間を通して多彩に移り変わる「農」の姿を、素敵な自然を織り成した表現や農に携わる人々を表現した作品が多くて大変良かった。
 欲を言えば、更に多面的に匹見独特の農をとらえた作品も欲しかった。例えば、五穀豊穣に感謝する祭事やワサビの収穫などの作品も考えられる。


田、漲る 最優秀賞審査評
 「田、漲る」 寺田義紀
 匹見地区ならではの「農」の絶景は、少なくない。この作品は、田植え前の水鏡が、あたりの新緑を映した景観であるが、神々しいまでに昇華した作品である。農家や霞を写し込んだフレーミングも見事。早朝に撮影した熱意が、功を奏した傑作。

以上 

 


 

 

 受賞作品は、まず、以下の写真展で展示を行います。ぜひ足をお運びください。

 

・3月13日(金)~19日(木) 「益田写真連盟 第6回写真展に出品」 キヌヤショッピングセンター 3F

 また、来年度以降も、さまざまなテーマでひきみ写真コンテストを開催していきたいと考えています。またのご参加をお待ちしています。

 

優秀賞、まなびや賞、入選の作品は、以下からごらんください。

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2009.02.23

六十六部供養塔 - 「匹見再発見」 43

阿弥陀如来像  益田市匹見町には「石見三十三札所」に数えられている寺が2か所(十五番の清閑院は廃寺)ある。その成立は元禄5(1692)年ではないかといわれているが、固定化するのは後の正徳年間(1711‐15)ころになってからだろう。
 現存する十四番の東光山和田寺(浄土宗)は仮堂となっているが、その境内に六十六部の供養塔といわれる石造の阿弥陀(あみだ)如来像がある。六十六部とは、六十六国を廻国して巡礼した聖(ひじり)のことをさすが、略してただ六部という場合もある。
 石造の如来像は当地では珍しく、以前から気にしていた。ただ、坐像の蓮華(れんげ)座の中央にやや太字で六十六部供養と陰彫された以外、コケが繁茂するなど、詳細は分からなかった。
 そこで今季、コケを取り除くなど清浄してみた。すると、蓮華座の右側面に「宝永七年(1710)寅三月三日」とある。また左側面には「施主・教水」という刻銘が現れた。
 六十六部廻国については、正徳年間以前、出雲国では杵築大社(出雲大社)、石見国では大田南八幡宮に代表される国分寺、大麻山権現、柿本神社、隠岐では焼火権現というように5か所程度と少なかった(鳥谷芳雄『島根における近世六十六部廻国』)。しかもそれらはいずれも海岸端に限られていたようだ。
 18世紀後半になると倍増していくものの、石見では三十三札所と重なりが見られるといわれ、それでも和田寺のように山間辺地で発見されたことは初めてで、極めて貴重だ。
 このことは本寺が、浄土宗の三祖といわれている記主(きしゅ)禅師が嘉禎年間(1235‐37)に開基したといわれる名刹(めいさつ)だったことから、納経地として足を向かわせたという背景があったのかもしれない。

 

写真:和田寺の「阿弥陀如来座像」

(文・写真 /渡辺友千代)


この記事は、2009年2月22日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2009.02.09

縄文の小宇宙 - 「匹見再発見」 42

縄文土岐類  狩猟・漁労・採集を生業とした縄文時代。その始まりは1万5000年前にさかのぼるとされ、およそ1万2000年も続いた。その始まりから終わりまでの各時期にわたる遺跡が数多くある匹見の縄文文化回廊を、巡ってみたい。
 石ヶ坪遺跡は九州系の縄文土器が多量に発見されたことで有名だ。この土器は並木式・阿高式といわれ、粘土のなかに滑石が混ぜられているのが特徴。土器片を手に陽の光を当ててみるとキラキラと光を反射する。
 縄文土器の中でも、ひときわ異彩を放つこの土器を目にした人々の驚きは、どれほどであっただろう。
 原産地が判明している場合、その広がりは人の動きを映し出す。滑石の産出地は長崎県西彼杵半島などが知られ、九州との深いつながりを物語っている。
 石を集めて組み石状に並べた、配石遺構(墓地)の発見された遺跡が多いことも特色だ。早期の上ノ原遺跡をはじめ、前・中期の中ノ坪遺跡、後・晩期ではヨレ・水田ノ上遺跡などが知られ、その変遷をたどることができる西日本でも稀有な地域だ。
 特に水田ノ上遺跡は径80mにも及ぶ西日本最大規模のストーンサークルとされ、森の恵みに感謝する神聖なマツリが盛大に行われたと想像できる。
 配石遺跡からは、意図的に破壊されたといわれる土偶や石冠といわれる両性具有の呪術具も発見されている。そこには季節の循環にも通じる、いのちの復活と再生を祈った縄文人たちの精神的宇宙が広がっていたことだろう。
 県芸術文化センター「グラントワ」で21日から、「とっとり・しまね発掘速報展」とあわせ、「考古学から語る“いにしえ”の石西」と題した地域展が開催される。

 

写真:匹見の遺跡から出土した縄文土器類

(文・写真 /渡辺 聡・渡辺友千代)


この記事は、2009年2月8日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


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