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2008.10.20

広葉樹林 - 「匹見再発見」 35

山の幸  匹見の山地が色づく秋になると、キノコ類やヤマイモ、そのムカゴ・ヤマグリ・アケビなど、森の恵みがきわだつ。
 とくに、匹見ではトチ餅の材になるトチの実の収穫期でもある。カゴを背負って山に入る人の姿も見受けられる。
 糧難であった戦時中にはもち米はわずかで、ほとんどはトチの実が主体。中にはドングリを団子にしてべたこともあったという。いずれもアクが強く、それを製造して口にすることは容易なことではない。明治期には「ガシの飯米(はんまい)」といって、トチの実を俵に入れて軒につるし、飢饉(ききん)に備えていたともいわれる。
 狩猟採集を基調とした縄文時代には、そういった山の幸に恵まれた匹見地域は格好のエリアだった。そのことは、縄文遺跡が五十ヶ所余り、弥生期のものと複合したものも加えると、六十数ヶ所もあることが証明している。
 石ヶ坪・ヨレ遺跡では、貯蔵穴(ちょぞうけつ)という木の実を保存した跡が出土しており、ヨレ遺跡ではトチの実の炭化物が見られた。同遺跡ではシカの骨も発見されるなど、当時の暮らしがそういった山の幸に支えられていたことがわかる。
 縄文人は木の実などの植物性のもの、また魚類、イノシシといった動物性のものをしていた。そのカロリー比率は、植物性のものが二倍以上だったことが分かっている。
 匹見が、12,000年~2,300年前の縄文時代を途切れることなく存続していたことや、その遺跡の多さから「縄文銀座」と呼ぶ専門家もいる。その背景には、匹見が山の幸豊かな落葉広葉樹林の山に囲まれていたということが、大きな要因だったのだろう。
 そんな縄文の世界を想いながら、紅葉に染まる匹見を散策してみるのもいい。

 
写真:縄文人の生活を支えたトチの実、ドングリ、ヤマイモなどの山の幸

(文・写真 /渡辺友千代)

この記事は、2008年10月19日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


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2008.10.06

ミツバチの蜜 - 「匹見再発見」 34

081005  日本在来のニホンミツバチの巣を採る現場に、立ち合わせてもらった。動きを麻痺させるための煙を吹きかけているとはいえ、やっぱり何匹ものハチが周りを飛び交っている。
 網つき帽をかぶり、ゴムかっぱに手袋で身を固め、蜜をたっぷり蓄えた巣に包丁を入れる。小さな六角形の部屋が並んだ巣は板状で、その「板」が縦になって何枚も並んでいる。その板をひとつずつ切り取っていく。
 巣をすべて取らずに半分ほど残しておけば、ハチたちが巣を復元する。ただし、寒い時季になると蜜が固まって採取しにくくなるとのこと。
 桶に入れられた巣からは、すでにトロリとした蜜がこぼれ始めている。ニホンミツバチの蜜は「百花蜜」とも呼ばれ、数ヶ月をかけてたくさんの種類の花から集められたもの。さっぱりとしているが、どこか複雑な味わい。
 物資の乏しい時期には貴重な甘味だったろう。餅につけたり、そば粉などをかいてべたりしたという。蜂蜜は縄文の時代から人に利用されてきたというから、縄文銀座と呼ばれる匹見での利用の歴史も相当に長い。
 現在でも、山際の家の裏などに、木の洞を使った巣箱がいくつも置かれている光景を見かける。こうして、人の暮らしの中に溶けこむことで、ニホンミツバチの数も安定してきたという。
 しかし今、ハチ飼いの技術の継承は途絶えがち。クマによる被害なども増え、ただでさえ貴重な蜜はますます身近なものでなくなりつつある。
 一度味わったら忘れられない、豊かな野山に咲く花から少しずつ集められた自然の恵み。もうしばらく楽しむことができるといいのだが・・・。

 

写真:蜜がたっぷり詰まったニホンミツバチの巣

(文・写真 /田代信行)


この記事は、2008年10月5日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。