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2008.06.22

平家物語 - 「匹見再発見」 27

旧村の三葛村と西村との境にそびえるサイノタキ 益田市匹見町には源氏の追撃をかわしながら、安住の地を求めて往来した人々にまつわる平家伝説が数多くある。
 例えば、澄川の叶松(かのうまつ)城には中納言平教盛の同族という平盛弘が澄川姓を名のり、また平貞盛の孫である大谷盛胤は東村に落ちのびた-という。
 また、広瀬村には斉藤別当実盛の弟だったという次郎左衛門実村がいたといい、道川村の斉藤伯耆守泰家、土佐岡藤左衛門もそうだったと『石見匹見町史』にある。
 安住の地を求めて隠れ住んだ彼らだが、源氏方であった益田兼高の落人狩りは、ひるむことはなかった。最後まで抵抗したものは討ち死にし、血に染められた。その場所は「七人塚」という地名でよばれ、和又、道谷、樫田集落にみられる。
 そうした再三の合戦で谷が血で染められたので、その水を飲むことができなかったという「不飲ヶ谷」(のめずがたに)の伝説も数カ所ある。三葛には、平家の落人が住んだ所と伝えられ、そこにある柿は食べてはならないという「不食ヶ柿」(たべずがかき)という口伝もある。
 これらの七人塚・不飲ヶ谷といった場所の多くは、かつて村落の境であったことを思うと、その背景には、外部からもたらされるという災い封じの祭場だったものと重なっていることがわかる。
 そこには、怨霊(おんりょう)が祟(たた)るといった御霊(ごりょう)信仰もからんでいるといえそうだ。そういった思考は、琵琶法師や高野聖などによってもたらされたのだろう。
 猫の額ほどのやせ地でクワを振りつづけなければ生きていけなかった人々。「都へのあこがれ」や、「我々は貴人の出自である」という自負の念が複合しながら、平家伝説は生まれたのではないかと思う。

 

写真:旧村の三葛村と西村との境にそびえるサイノタキ。この近くに「七人塚」「不飲ヶ谷」の伝説地がある

(文・写真 /渡辺友千代)


この記事は、2008年6月21日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


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2008.06.08

山葵と天狗 - 「匹見再発見」 26

山葵天狗社 六月の第一日曜日、大神ヶ岳の中腹にある山葵天狗社(やまあおいてんぐしゃ)の例祭が行われる。今年も一日、好天の青空の下、三坂大明神と合わせ、祭りがあった。
 山葵天狗社は、1982(昭和57)年、地元三葛・笹山地区でワサビを栽培する人たちにより、豊作を祈って建てられた。
 「神が宿る」「天狗がすむ」と、昔から伝えられてきた大神ヶ岳。ここを源にして湧き出す水は絶えることがなく、山の樹々が落とす葉からは豊かな滋養が溶け出している。この水がワサビ谷や麓のくらしをずっと支えてきた。
 そんな自然からの恵みへの感謝と、それがこれからも続いて欲しいという願い。とともに、ワサビや田畑の作物を病害虫から守りたいという思いが、この祭りには込められている。
 神社建立の翌年、創作神楽『山葵天狗』が誕生。ワサビの害虫を悪霊化した黒妖霊が天狗に退治されるという内容で、毎年この祭りに合わせて上演される。
 会場は、旧三葛小学校の校舎を活用した「夢ファクトリーみささ」。神楽や踊りなどを見ながら、地元の食材を使った、蕎麦や田舎寿司などを味わうことができる。いわば、神様も地元の人もお客さんも、いっしょに楽しむ「直会(なおらい)」だ。
 この日は、大神ヶ岳から尾根を縦走し、立岩・赤谷山までの山開き登山も行われる。登山口から四十分ほどで大神ヶ岳、そこからさらに四十分ほどで立岩の上に立つことができる。
 どちらも懸崖がそびえ、上から眺めれば空に浮かんでいるかのよう。縦走路も開放感があり、青空の下を「空中散歩」するのは実に気分がよい。
 初夏の山里を満喫できる一日だ。

 

写真:岩のくぼみにひっそりと立つ山葵天狗社

(文・写真 /田代信行)


この記事は、2008年6月7日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。