埋め飯 - 「匹見再発見」 15
匹見に古くから伝わる郷土料理に「埋め飯」がある。
具材は、ささがきしたゴボウ、ニンジン、そして里芋、シイタケ、豆腐、これに山鳥(またはウサギ)などの肉が加わる。味付けは、しょうゆで、濃いめにする。
仕上がったら、具と煮汁を椀(わん)に注ぎ入れ、五分めに張る。そこに炊きたての飯を盛り付けるが、欠かせないのがワサビ。すり下ろしたワサビを椀の中に封じ込めるようにしのばせるのがコツで、素朴な味わいを大いに引き立ててくれる。
飯の上には季節に応じた木の芽、あるいはセリなどの薬味をのせると、一段と食欲が増す。
具と汁を熱々の飯の中に埋めた「埋め飯」。由来は、主役とするワサビを飯に封じ込めたからだとか、具を埋めるように下に張ったから、あるいは客に「粗末なものですが」という遜(へりくだ)った出し方をしたからなど。語源は定かではない。
地元の山野で簡単に得られる食材ばかりで、手の込んだ非日常的な晴れの料理とはいえない。
実はこの埋め飯、浜田市三隅などの海岸沿いでは、サザエやアワビなど魚介類を加え、ワサビの代用にショウガを添えたという(木村晩翠著『随筆石見物語』)。
要するに、郷土料理は、その地域、地域にある身近な食材を活(い)かしてこそ、真の郷土料理と言える。
それにしても匹見の埋め飯を食べると、強い辛味の中にもどことなく甘味をもった食感に、「涙してもやめられぬ匹見のワサビ」を実感する。ぜひ、埋め飯をご賞味いただきたい、と思う。
写真:薬味にセリをのせた埋め飯。匹見特産のワサビを封じ込める
(文・写真 / 渡辺友千代)
※この記事は、2007年12月23日付の山陰中央新報掲載分を加筆・訂正して転載したものです。
道川路 - 「匹見再発見」 14
益田市匹見町道川は、陰陽を結ぶ国道191号沿いに開けた県境の町。東は広島県の芸北地方、西は旧美都町、北は旧金城町に接する。
三八豪雪で過疎化に拍車が掛かった匹見町の中でも積雪量の多い道川だが、豊かな森林資源と調和した人々の暮らしは、都市部の生活では味わえない魅力に満ちている。訪れるたびに、思わず小学校唱歌「里の秋」を口ずさんでしまう原風景がある。
この山里の歴史は、旧石器時代までさかのぼることができる。出合原集落には、およそ2万年前の同時代の「新槇原(しんまきはら)遺跡」(県指定史跡で、県内唯一の旧石器時代遺跡)がある。ほかにも縄文時代の遺跡や、江戸時代の本谷たたら跡などもあり、栄枯盛衰を感じさせる。
初冬のある日、愛機のカメラを手に、冬枯れの道川路を歩いた。標高役500m。朝の冷気は、思わず身を縮めたくなるほど。吐く息は白い。目に飛び込んでくるセピア色に染まった野山は、まるで水墨画の世界を見るようで、胸が熱くなってくる。
ところで、道川の地名の由来はどこからきているのだろうか。一説には「山奥のため、人々は川を往来して道とし、道川と号した」とか。確かに、道川地区自慢の奥匹見峡(元組から約2kmにわたる三の谷一帯)を流れる匹見川に沿って歩けば、市街地に行き着く。地名には「なるほど」と思わせる伝統文化の奥深さが潜む。
1時間も歩いただろうか。ふと、気が付くと真っ赤に彩られた柿の実が、朝もやの中に浮かんでいた―。
(写真は追って掲載します。)
(文・写真 / 吉崎佳慶)
※この記事は、2007年12月9日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。