河狩り - 「匹見再発見」 6
『河狩り』と書いて『かわがり』と読ます、この言葉をご存じだろうか。西中国山地の山懐に抱かれた匹見では、河狩りという良き伝統が今に受け継がれている。
その意味は、夏、川で泳いだり魚を捕まえて遊んだ後、川辺で食事をすること。「あす、みんなで河狩りに行こうや」―。親しい友人や知人にこう声を掛け、誘ったりする。
食事抜きなら、ただの「川遊び」だが、涼しげに吹き抜ける川風に身を委ね、持ち寄った料理に舌鼓を打つところに、ちょっと粋でぜいたくな河狩りの遊び心がある。
もともと水源の上を祭る河内神社信仰が始まり。川で捕った鮎(あゆ)を料理して神に供え、神とともに食事をいただき、川の豊漁を祈願、あるいは感謝した名残らしい。
今でこそ、河狩りの主流はバーベキューだが、信仰行事の伝統にのっとった献立は、鮎飯、鮎の塩焼き、鮎の背越(中骨ごとスライスした刺し身)、鮎とキュウリのなます、石焼き(焼いた石の上で、鮎のはらわたに塩や味噌を混ぜたものと一緒に野菜を焼いたもの)など。まさに鮎づくしだ。
確かに、香魚とも呼ばれ、気品高い鮎は神に供えるのにふさわしい。川魚を貴重な動物性タンパク源とし、山深い里で暮らす人々の信仰心の強さがうかがえる。
川漁に親しんできた地元の古老によると、若いころはツガニ(モクズガニ)にしろ、イダ(ウグイ)にしろ、今とは比較にならないほど数が多かった。鮎の遡上(そじょう)期にもなると、大群が黒い帯のようになって川を上ってきたそうだ。
豊かな川の恵みは、感謝の気持ちとともに日常生活の中に、深く染み込んでいた。
親から子へ、そして―。河狩りは匹見の地で、しっかりと息づく。
写真:鮎なますを作るのに利用していた、川の流れによって自然にできた岩のくぼみ
(文・写真 / 田代祐子・田代信行)
※この記事は、2007年8月26日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。
ひきみの清水 - 「匹見再発見」 5
西中国山地の懐に抱かれた匹見は、匹見峡に代表される渓谷美が自慢だが、実は清水が至る所からわく「水のまち」でもある。ブナなど広葉樹林に降った雨は地中にしみ込み、天然の浄化作用で良質の水へと生まれ変わる。
特産ワサビをはぐくんでいるように、豊かな水資源は住民の暮らしを支えている。
各集落では、隣近所が共同で山水を引き込み、飲料水など生活用水として使った。上水道の整備で、昔のような光景はさすがに減ったが、地域によっては清水が「命の水」になっている家庭はまだまだ多い。
二年前、匹見総合支所が中心となって「ひきみの清水」選定に着手した。地域住民から寄せられた名水情報を頼りに、まず二十四カ所を候補選定。最終的には使いやすさなどを基準に八カ所を選び、昨年暮れに無料取水場の標柱(地元の凝灰岩採用)を設置した。
選定では水質検査も実施した。その結果は、「甘い」「まろやか」などの指標となるカルシウムやマグネシウムなどが多く含まれ、飲みやすさを演出していることが分かった。
良質な清水の評判は徐々に広がり、今では車にポリ容器を積み込み、遠方からやって来るファンも珍しくない。「清水で入れたコーヒー、清水で炊いたご飯は最高!」。そんな声を聞くたびに、目尻が下がる。
二十一世紀は「水の世紀」ともいわれる。地球規模で進む砂漠化は水資源さえも奪う。
その意味でも、郷土の宝でもある水資源を守り、後世の人々に残す努力は欠かすことができない。
ひきみ学舎では、この大切な地域資源を紹介する「ひきみの清水マップ」を作成予定だ。
写真:二ノ代の清水。匹見峡トンネル出口から数百m、山側にわき出す。水量も豊富で、夏場でも枯れるることはない
(文・写真 / 河野敏幸・田代信行)
※この記事は、2007年8月12日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。