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2007.06.25

泥落とし - 「匹見再発見」 2


朴の葉に盛りつけた「御供(ごくう)」を再現した 田植えが一段落すると、「泥落とし」という行事が行われる。農家にとっては心休まるとき。耕運機での作業、石垣の草取り、畦(あぜ)の手入れ・・・。4月から5月末まで続く農作業から、いっとき解き放される。
 今のように機械化されていない昭和50年代までは、まだ各集落に「イイ(結に由来)」と呼ばれる組織があり、田植えなどを共同で行った。作業が終わるのは、今より1ヶ月も遅かった。
 「泥落とし」は、6月30日から7月4日までの5日間をいい、ユリ科のサルトリイバラの葉で包んだ柏餅(かしわもち)をつくったりし、仕事を控えたものだ。
 泥落としの日を「シロミテ」と言う。各家ではサンバイ(田の神)さんの依代(よりしろ)である御幣を水口に立て、神前には朴(ほお)の葉=モクレン科の落葉高木、9弁の白い大きな花を咲かせる=に載せた豆入りの、おむすび3個を供えたりした。
 七村地区では五目めし、チシャなます、ゼンマイ、タケノコ、干し大根煮を供えるのが慣習だった。
 なかには「ヨセドロ(寄せ泥)」といって、イイ仲間や地区の人々が集まり、豊穣祈念と親睦(しんぼく)も兼ねて会が行われていた。 
 しかし、今ではイイ組織も崩れ、泥落としは地縁関係者を中心にした温泉旅行などのスタイルに様変わりした。
 朴の葉が使われるのは、ちょうど大ぶりな真っ白な花を咲かせる時季に当たるためである。サンバイ花という言い方もあり、他の地方では開花を同じにする栗、卯の花(ウツギ)をあてがうことも。
 田囃子(たばやし)にそうした花木が登場するのもうなずける。
 朴の葉やサルトリイバラを用いることでも分かるように、泥落としという行事は、自然の営みにあらがうことなく神の存在を信じ、地区の連帯感を紡ぎながら伝わってきた。


(文・写真 / 渡辺友千代)


※この記事は、2007年6月24日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


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2007.06.11

アユ漁の夏 - 「匹見再発見」 1


初夏の味覚を代表するアユ 6月を迎え、高津川流域はアユ釣りシーズンに入った。解禁日には、待ちかねた人たちが早朝から、さおを振る。前の晩から場所取りをする人も。川沿いのちょっとしたスペースには、県外ナンバーの車が目立つ。
 ここ匹見(益田市匹見町)でも、「アユ放流・遡上(そじょう)・解禁」の言葉に何週間も前から胸躍らせる人が大勢いる。川の様子を見回り、仕掛けを準備し、解禁日が平日であれば有給休暇の算段だ。
 釣果次第では、おすそ分けが回ってくる。魚体に黄色い星をもった艶やかで美しいその姿は、卯の花(ウツギ)やチナイ(エゴノキ)の白い花と合わせ、「夏は来ぬ」を実感させる。
 匹見では、季節は川や山など自然の恵みをともなってやって来る。
 トチやクリの実を拾い、何種類ものキノコが採れるようになると、山里に秋風が吹き始める。アユも「落ちアユ」になり、初夏とは違った楽しみをもたらす。
 さらに、猟でイノシシが捕れたという話を聞くころには雪がちらつく。そして、冬。山菜を採る楽しみを抱き、春到来を待ちわびる。
 四季の移ろいに身を任せた暮らし。「コウカ(ネムノキ)の花が咲いたら小豆をまけ」などというように、季節の野菜や米をつくる際にも、自然を通して身につけてきた、昔ながらの知恵や技術が活(い)かされている。
 暮らしの知恵・技術は、山や川がはぐくんだ恵みというべきだろう。そこには、さまざまなものが容易に手に入る都会とは趣を異にする、匹見ならではの「豊かさ」がある。


 私たち、ひきみ学舎(まなびや)では、この豊かさを少しずつ拾いあげて蓄積し、次世代へつなげることを目指す。
 連載では、活動を通して「再発見」した匹見の魅力をたっぷり伝えよう。


(文・写真 / 田代信行)


※この記事は、2007年6月10日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.06.09

山陰中央新報への連載が始まります

 6月10日より、山陰中央新報の朝刊、島根ワイドのページに、ひきみ学舎(まなびや)による連載記事が掲載されます。
 タイトルは「匹見再発見」。匹見の地域資源をもういちど見直そうという、学舎の活動の一環となります。
 さしあたっては、隔週日曜日に掲載される予定です。また、紙面掲載日の翌日には、当サイトにもアップしていきますので、新聞とあわせてチェックしてみてください。