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2010.03.08

春の川 - 「匹見再発見」 66

きらめく春の川  3月には、匹見がいよいよ動き出す、1年の始まりの時季というイメージがある。冬にくらべると晴れ間の出る日が増え、空気がぐっとゆるんでくる。
 木々が芽をふくらませているのだろう、山がほんのり赤っぽくなった。目覚めの早い草や木が小さな花を咲かせ、鳥たちのまだたどたどしいさえずりも聞こえてくる。
 田畑に緑が増え、作業する人たちの姿も目につく。日が照り、体を動かせば少し汗ばむような暖かさが心地よい。
 そして、雪解けの水もあるのだろう、やや水量の多いの流れに陽光が反射してきらめく様子は、何だか気分がうきうきするような、私の好きな春の景色だ。
 3月1日には渓流釣りが解禁。まだずいぶん冷たいだろう流れに立つ人たちを、ちらほらと見かけるようになった。アユ解禁の時季には卯の花(ウツギ)がよく似合ったが、いま辺を彩るのはネコヤナギだ。
 十数年前、匹見に越して来て間もなく渓流釣りを習った。魚はあんまり釣れなかったが、人の気配がない谷で竿を出し流れを見つめていると、の一部になったようで気持ちよかった。
 このところ、釣りにはすっかりご無沙汰しているが、春のにうきうきしてしまうのは、釣りに夢中だったあの頃の気分がよみがえるからかも知れない。
 連なる山なみは、よく大地の背骨に例えられる。また、その谷々から湧き出る小さな流れが集まってめぐっていく様子は、精気を循環させる血管なのだと。
 いま、まさに匹見の野や山、には活力がみなぎり、これまで繰り返してきたのと同じように春を迎え、新しい1年が始まろうとしている。

 

写真:きらめく春の川

(文・写真 /田代信行)


この記事は、2010年3月7日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


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2009.04.27

キシツツジ - 「匹見再発見」 47

 昨年、2年連続「水質日本一」となった高津。その源流の一つである匹見や、奥・表・裏匹見峡などを抱く西中国山地国定公園には、今一段と熱い視線が注がれていて誇らしい限りだ。
 今回は、薫風が心地よい四月中旬から五月中旬にかけて、匹見辺や匹見峡の岩場に咲く「キシツツジ」を紹介したい。
 キシツツジは、本州と四国、九州に分布する。岸や渓谷の岩場などに生え、高さ1-1.5mになる。特に、水質の良い清流域に群生することが知られている。かつては旧匹見町の町花であり、今でも地域住民にとって大切な宝物だ。
 4月下旬、国道9号線の横田から国道488号線を行くと、匹見の下流域、猪木谷辺りから、対岸に清楚で可憐な紅紫色のキシツツジが目に飛び込んでくる。
 その美しさに、思わず車を止めて見入る人が多くなるのもこのころからだ。キシツツジの群生域は、澄川地区までが最も多い。匹見市街地直前まで随所にあって私たちの目を楽しませてくれる。
 新緑、こけむした岩、清流と見事なコントラストを織りなす花は「春の清流を彩る女王」と呼ぶにふさわしい。実際、匹見地区は高知県の大豊地区(吉野川)とともに、質・量で国内有数のキシツツジの名所といわれている。また、この時季は、流域の所々でヤマフジも開花を迎えている。これらの川岸の樹木にも注目して、より一層匹見の自然を満喫してほしい。
 表匹見峡では、五月の連休のころ、全域がキシツツジの名スポットとなる。特に、亀ヶ淵、小沙夜淵などがよく、淵に花が映り揺らぐ様は、格別の趣があり心洗われる。カメラ持参をお勧めする。

 

(写真は追って掲載します。)

 

(文・写真 / 吉崎佳慶)

 

※この記事は、2009年4月26日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2008.07.06

学びの場 - 「匹見再発見」 28

歓声をあげる川ガキ講座の参加者 三年ほど前から、夏休みの期間中に、「ガキ講座 in ひきみ源流キャンパス」が開かれている。高津大学という流域ネットワークが主催する、遊びのイベントだ。
 益田市内を中心に、県内外の各地から親子連れが集い、地元の人たちとで泳ぎ、魚を追い、料理をつくって食べ、真夏の水辺での一日を大いに楽しむ。
 全身を使いと触れ合うことで、川遊びの面白さ、川の大切さ、と同時に恐ろしさをも体感してほしいというのが狙い。
 が、子どもらにとっては、そんなことどうでもいい話。夢中で水の中をのぞきこみ、プカプカ川を流れ、岩から飛び込み、瀬を渡り、おいしそうに鮎や、おにぎりを頬張る。
 本人たちはまったく意識してないだろうが、こんなことが大きな財産になっていく、と信じたい。ああ、あの川であんなことしたなあと、いつかどこかで思い出してくれるだけでいい。
 こんなことを通して何か学んでいけるのは、子どもだけではない。一緒に活動する大人たちにとっても、楽しさを共有することで、自分のことや子どものこと、地元のことなどを「再発見」するきっかけになる。
 匹見には、川だけでなく山や森、田んぼや畑など、自然に恵まれた学びの場がたくさんある。さらに、それを活かすための技術や経験をもった大勢の「先生」たちがいる。
そんな「教室」と「先生」に、活躍してもらえる機会がもっと増えれば、また何か、新しい楽しいことが生まれてくるだろう。
 今年も7月20日、匹見町萩原地区で「川ガキ講座」がある。ぜひ参加してみてほしい。問い合わせは、高津川大学事務局(電話0856-24-8661)。

 

写真:水しぶき。歓声を上げる川ガキ講座の参加者たち

(文・写真 /田代信行)


この記事は、2008年7月5日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.11.26

甌穴 - 「匹見再発見」 13


和又集落上がり口の甌穴 が形作る造形美の一つに、甌穴(おうけつ)がある。これは、底の岩盤が浸食作用で掘られ、円筒形の穴になること。岩盤のくぼみに入った小石が流れで回転し、長い歳月を掛けて削ったものだ。
 埼玉県長瀞(ながとろ)や長野県寝覚ノ床などが有名だが、匹見流域でも観察できる。
 代表的な甌穴は、匹見発電所へ送る水の取り入れ口付近の河原(益田市匹見町下道)にあった。くぼみが深く、「これぞ甌穴の見本」とでも言いたくなるほど立派。残念ながら、取り付け道路工事に伴って消えてしまった。
 実はこの甌穴の付近では、別の甌穴を見ることができる。特大の穴で、近づいて見ると、底は小石がぎっしりと詰まり、魚影が確認できる。夕暮れ時、水中ライトを持ち込み、甌穴を浮かび上がらせてみたい-と思う。
 和又集落の上がり口にも、見事な甌穴があるが、水量が多くて全体像が確かめにくい。いつか潜って観察したいと思っていたが、体力がなくなってしまった。
 同集落の上流にある「鬼の釜」は面白い。昔話の主人公・桃太郎が生まれ出た桃のように、大きな岩が二つに割れ、しかも中が丸くえぐられている。御神木のように立派な木も生えている。
 もともと匹見の石は、硯(すずり)ような凝灰岩が大半で、きれいな甌穴ができやすいのだ。
 手軽に観察できる個所に、一の谷の鍋淵(なべふち)がある。この淵にある甌穴は、まるで五右衛門風呂の形。滑らかな赤みを帯びた凝灰岩が続く中で、ひときわ目立つ。
 反対に、馬橋の甌穴はかわいらしい。犬の餌入れに使うおわんのよう。橋の上から容易に見られ、格好の教材になる。
 匹見には、自然の造形が数限りなくあり、何も言わずに転がっている。


写真:和又集落への上がり口で見られる甌穴


(文・写真 / 齋藤正明)


※この記事は、2007年11月25日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.09.10

三ノ滝 - 「匹見再発見」 7


三ノ滝 国道191号の道の駅「匹見峡」から約2キロ上流に、奥匹見峡の入り口がある。遊歩道は入り口からさらに先にある駐車場から整備され、全長1キロほど。距離は短いが、素晴らしい自然に触れることができる。
 奥匹見峡の遊歩道を歩く醍醐味(だいごみ)は、見事な滝に加え、ほどよい長さと、険しさにある。自然林の大木の下、深山に分け入っていく感覚が味わえる。
 およそ500メートルの地点で急な上り坂になる。ここまで来ると、滝の音が聞こえてくる。小龍頭だ。滝の上から滝つぼをのぞき込めるが、かなりの度胸がいる。
 近くには、半世紀を経てなお頑張っている、簡易な休憩所がある。この先に、目指す三ノ滝(大龍頭)がある。ただ、行き着くには、谷を渡らなければならない。水かさを見極め、石や岩を伝って歩けば靴をぬらすことはないが、滑りやすいので要注意だ。
 渡りきると「鹿の背」が目前に迫る。古びた鉄製の階段を息を切らして上ると、途中、2本の古木が合体している夫婦木と出合う。「もう少しだ」と励ます。と、次の瞬間、思わず息をのむ光景が広がる。
 三ノ滝は、実に見事な滝だ。高さ53メートル。白亜紀古来の断層谷を流れ落ちる様は、まるで白く輝く一条の絹帯のよう。
 今から50年前、小学生だったころ、三ノ滝の高さを測るため、入山した父親や集落の人たちに同行したことがある。
 当時の記憶では、35メートルだったが、話題づくりのためだったのだろうか、数字を逆さにして53メートルと記録されたように思う。
 どうしても気になって仕方がないため、この7月、巻き尺を携えて入山。滝の上から滝つぼに向かって垂らしてみたところ、数字は「44メートル」を示した。
 あらためて三ノ滝を眺めると、立った位置でずいぶん高さの感じが違う。35メートルに見えるときもあれば、44メートルより高いように見えるから不思議だ。
 足元にころがるシバグリやトチの実を手に、勇壮な三ノ滝に本当の高さを問いかけた。そのとたん、滝の主から諭された。「何の意味があるの?」と-。


写真:立つ位置によって、高さが違って見える三ノ滝


(文・写真 / 齋藤正明)


※この記事は、2007年9月9日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2007.08.27

河狩り - 「匹見再発見」 6


鮎なますづくりに利用された穴 『河狩り』と書いて『かわがり』と読ます、この言葉をご存じだろうか。西中国山地の山懐に抱かれた匹見では、河狩りという良き伝統が今に受け継がれている。
 その意味は、夏、で泳いだり魚を捕まえて遊んだ後、辺で事をすること。「あす、みんなで河狩りに行こうや」―。親しい友人や知人にこう声を掛け、誘ったりする。
 事抜きなら、ただの「遊び」だが、涼しげに吹き抜ける風に身を委ね、持ち寄った料理に舌鼓を打つところに、ちょっと粋でぜいたくな河狩りの遊び心がある。
 もともと水源の上を祭る河内神社信仰が始まり。で捕った鮎(あゆ)を料理して神に供え、神とともに事をいただき、の豊漁を祈願、あるいは感謝した名残らしい。
 今でこそ、河狩りの主流はバーベキューだが、信仰行事の伝統にのっとった献立は、鮎飯、鮎の塩焼き、鮎の背越(中骨ごとスライスした刺し身)、鮎とキュウリのなます、石焼き(焼いた石の上で、鮎のはらわたに塩や味噌を混ぜたものと一緒に野菜を焼いたもの)など。まさに鮎づくしだ。
 確かに、香魚とも呼ばれ、気品高い鮎は神に供えるのにふさわしい。川魚を貴重な動物性タンパク源とし、山深い里で暮らす人々の信仰心の強さがうかがえる。
 川漁に親しんできた地元の古老によると、若いころはツガニ(モクズガニ)にしろ、イダ(ウグイ)にしろ、今とは比較にならないほど数が多かった。鮎の遡上(そじょう)期にもなると、大群が黒い帯のようになって川を上ってきたそうだ。
 豊かな川の恵みは、感謝の気持ちとともに日常生活の中に、深く染み込んでいた。
 親から子へ、そして―。河狩りは匹見の地で、しっかりと息づく。


写真:鮎なますを作るのに利用していた、川の流れによって自然にできた岩のくぼみ


(文・写真 / 田代祐子・田代信行)


※この記事は、2007年8月26日付の山陰中央新報掲載分を転載したものです。


2006.10.29

三葛地区の甌穴(おうけつ)

061029_07・つむぎ峡の「岩壺」
 つむぎ峡沿いに続いている歩道をあがっていくと、木々を透かしてかろうじて見える甌穴。足元をしっかりしておけば、に下りて近づくこともできます。


061029_08 ・広高の甌穴
 林道広高線を1kmちょっと上がっていくと、右側のに太いパイプでつくった砂防設備があります。そのすぐ下に大きな風呂のような穴が開いてるのが道路からもよく見えます。


061029_06


*小さな石が水の流れで回転し、硬い岩に何千万年もかけてうがった穴が甌穴です。


2006.10.29

道川地区の甌穴(おうけつ)

061029_05・表匹見峡の甌穴
 道トンネルの旧道に上流側から入ってまもなく、左側に小さな岩山があります。下流側から岸におりて岩をまわりこむと、きれいな水をたたえた大きな穴。 のぞきこむと、穴の中で魚が泳ぐのもみえます。


061029_04


 *小さな石が水の流れで回転し、硬い岩に何千万年もかけてうがった穴が甌穴です。


2006.10.29

広瀬地区の甌穴(おうけつ)

061029_03・広瀬の甌穴
 国道488号線沿い、「間伐展示林」の看板がでている広い退避場所に車をとめ、走ってくる車に注意しながらをのぞきこむと、対岸やや上流にある大きな穴。周辺には、小さな穴もいくつかみつけることができます。


061029_02 ・前匹見峡の「鬼の釜」
 碁盤の淵下流の、道路からみると対岸にのぞめます。近づくと、穴というよりは巨大な壁。中には、10人以上の子どもがいっぺんに入ることができました。てっぺんにはケヤキの木がそびえています。


061029_01


*小さな石が水の流れで回転し、硬い岩に何千万年もかけてうがった穴が甌穴です。